2020年8月 1日 (土)

聖書の言葉307

信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、 自分を吟味しなさい。(2コリント13:5)

「信仰を持って生きているかどうか」を、聖書協会共同訳は「あなたがたは、信仰の内にあるかどうか、自分を試し、自分を吟味しなさい」と翻訳しました。こちらの方が原文の直訳です。私たちが信仰を持っているかどうか、自分を反省し、自分を吟味するのではありません。私たちは信仰の中にすでにいれて頂いています。パウロの別の言葉で言うと「自分がキリスト・イエスに捕らえられている」(フィリピ3:12)となるでしょう。あるいは「今は神を知っている、いや、むしろ神から知られている」(ガラテヤ4:8)となるでしょう。
 パウロの反対者たちは、キリストがパウロにあって語っている証拠を示せと迫りました。裸になってあらいざらい自分を調べて証拠を出せ、どうせできないだろうと言うのが反対者たちでした。パウロからすれば、人のことをとやかく言う前にそれぞれがなすべきことがあります。人に自己吟味を迫る前に、パウロを含め反対者たちも私たちも、自らが自己吟味しなければなりません。信仰の内にある者として、キリストに捕らえられている者として、主に知られている者として、自らが信じて生きているかどうか吟味するのです。
「ほんとうの試し方(反省)は、イエス・キリストが私たちの内におられることを悟る」(竹森満佐一)ことです。私たちが気づいていなくともキリストは私たちの中にいてくださいます。私たちの中にキリストの力が働きます。この真理が私たちを生かします。私たちが連なるキリストの体である教会を造り上げます。(岸 俊彦)

2020年7月21日 (火)

聖書の言葉306

そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。 (1コリント4:5)

 

 パウロは「何も裁いてはいけません」と言います。考えてみると、これはかなり無茶なことを言っています。もし裁くことができないなら、間違っている人に間違っていると言ってはいけない。そういうことになります。

 パウロがここまで言うのは、パウロが少し変わった立場にあったからでもあります。パウロは神様に選ばれて、神様のために働く人でした。だから、パウロにとって一番大事なのは、神様がパウロをどう見ているか、ということでした。神様がパウロを良いか、悪いか決める。この神様の判断が一番大事でした。他の人のことなんて、いや自分の判断さえも気にならないくらい、神様の判断が大事でした。実は、パウロはこのとき、コリント教会の人々から裁かれる立場にありました。人々はパウロを裁き、バカにしましたが、そんなことは結局、どうでも良いのです。誰がなんと言おうと、神様がパウロを判断します。神様がパウロを良しとすれば、あとは誰からなんと言われようとかまいません。パウロの態度はそういうものです。

 私たちの周りには色々な人が居て、それぞれが色々な判断をします。でも、大体の人の判断は間違っているものです。本当に正しい判断がいつもできるのは、神様だけです。だから、パウロは人を裁くことなんて、するものじゃないと言うのです。大体は間違っているのですから。パウロのように、こうも大胆に神様以外のことをどうでも良いと言い切れるものではないかもしれません。けれども、誰の判断が自分にとって一番大事なのか、それを知ることは大事なことだと思います。

 教会には神様を信じる人が毎週集まってきます。それは一番大事な神様の判断を、神様の言葉を聞きに来るためです。パウロは言います。「おのおのは神からおほめにあずかります」。人からバカにされていても、しかし神様は必ず褒めて下さる。そういう神様の判断を、言葉を聞きに、私たちは教会に来るのです。(狩野進之佑)

2020年7月13日 (月)

聖書の言葉305

わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。 (1コリント3・6)

 花の成長には水と太陽の光と、よい土とよい肥料が必要です。チューリップが咲くまでは、早くても120日ほどかかるといわれています。秋の始まりの10月ごろに植えて、キレイな花が咲くのは3月ごろです。球根を植えて、水をまきます。肥料はまかなくてもよいそうです。もともと球根に栄養がつまってるからです。
 教会に通っている私たちも育てているものがあります。イエス様を信じる信仰です。毎日祈って、毎週礼拝に出て、信仰を育てているのです。信仰を育てるために、神様のことばが必要で、神様へのお祈りも必要です。しかし、毎日育てている花が、時には台風にあったり、雪に埋もれてしまって育たなくなってしまうことがあります。同じように、毎日育てている信仰が、時には神様のことばを信じられなくなったり、お祈りが出来なくなって育たなくなってしまうことがあります。雲が太陽を隠せば花は咲きません。でも私たちの信仰が育たなくなるということはありません。それは、いつも私たちが、安心して信仰を育てるために必要な神様の畑にいるからです。信仰を育てるために、特別なことは必要ありません。すでに神様を信じる恵みに満ちているからです。(諸橋鷹広)

2020年7月 1日 (水)

聖書の言葉304

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。(1テサロニケ5・16-18)

 みなさんは少女パレアナというおはなしを知っていますか? アメリカの作家のエレナ・ポーターという人が書いたおはなしです。
 わたしはこの本を小学校3年生くらいの時におばさんからもらいました。字ばっかりの本でさしえもほとんどなかったので、その時は読めなかったけど中学生くらいになって自分で読みました。
 パレアナという女の子のはなしでお父さんは牧師さんでした。でもお父さんもお母さんもパレアナが小さいときに死んでしまって、おばさんの家でくらすことになりました。おばさんはずっと1人でくらしていて小さな子どもといっしょに住んだことがなかったので、パレアナはさびしい思いやむずかしい事件にあいますが、そのたびになくなったお父さんから教えられた「どんなこともよろこぶ」ということをおもいだし、よかった、うれしい、ありがとうとかんしゃして生活してまわりの人たちにもそのことをおしえて、みんなでよろこぶ毎日をすごせるようになり、最後にはいつもむずかしい顔をしていたおばさんまでありがとうとかんしゃしてすごせるようになるというおはなしです。
 パレアナのお父さんが教えてくれたおはなしは今日の聖書の箇所だったとおもいます。
いつもよろこび、いつも神様にいのり、どんなことにもかんしゃすることがかみさまがみんなにのぞんでいらっしゃることです。みなさんもかなしいことやおこることもあるでしょう。なんでわたしだけ、と言いたいこともあるかもしれません。でもわたしたちはたえずよろこび、いのり、かんしゃしてすごせるようにがんばれます。(志磨恭子)

2020年6月25日 (木)

聖書の言葉303

主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。(1テサロニケ5・10)

 皆さんは早く大人になりたいですか? 大人になってお金を自由に使って、美味しいものをいっぱい食べたい、世界中を旅したい…。大人になるにつれて、一人でできること・しなければならないことが増えます。ただ、大人になれば、私たちは一人でも生きていけるのでしょうか。
 神様は私たちに多くの自由を与えてくださいました。その中には神様を信じない自由もあります。今回の聖書箇所の手紙を書いた伝道者パウロも、イエス様と出合う前はキリスト教徒をいじめていました。もちろん、神様はそのことを良しとされたわけではありません。神様はご自分を信じない私たちの態度と罪深さに、心を痛め、時に激しく怒ることもありました。しかし、そのような私たちの罪も、イエス様が私たちの代わりに十字架にかかり、死なれたことで赦されました。神様は私たち一人一人を十字架にかけることなく、独り子であるイエス様を私たちの救いとしてたててくださったのです。だからこそ、人間は罪を抱えながらも自由なのです。
 パウロは私たちに「ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう」と語ります。神様に自由を認められているからといって、私たちは神様を忘れて、好き勝手な振る舞いをしてよいはずがありません。私たちは、神様がどれ程までに私たちを愛してくださっているかを知っています。いつも神様が私たちを見守ってくださっていることを覚えて、お互いに励まし合いながら、信仰の目を覚ましていましょう。
 いくら自由であっても、私たちはこの地上の世界では、いつかは死んでしまいます。しかしながら、神様を信じて歩むことで、永遠に「主と共に生きる」ことができるのです。それこそ真の自由です。(原 良介)

2020年6月22日 (月)

聖書の言葉302

あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。(フィリピ4・7)

 パウロは、思い煩うのはやめなさい、と言います。困ったり、悩んだりすることをやめなさい、というのです。もしも困ったこと、悩みごとがあったら、頭を抱えてしまう前に、神様に相談しなさい。パウロはそう言っています。神様に相談をするためにはお祈りをするのが一番です。お祈りをするとき、必ず神様は私たちの言葉を聞いていてくださいます。
 神様にお祈りをして悩みを相談すると、まずはとても心がすっとします。これは人に相談するのと同じかもしれません。実際にはどうにもならなくても、今悩んでいること、困っていることを誰かに伝えるだけで、私たちはちょっとすっきりするものです。でも、この相談するというのはとても大変なことです。自分の悩んでいることを伝えることも、それを聞いてあげることも、誰もがうまくできることではありません。家族にも、友達にも相談できない悩みだってあるものですし、相談したら色々言われてむしろ落ち込んだり、逆に心がもやもやすることもあるものです。神様はとにかく、まずは聞いてくださいます。そういう相談相手が一人、いつまでも私たちと一緒にいてくださるということは、きっといつか力になると思います。
 神様に相談すると良いことがもうひとつあります。神様は残念ながら、お祈りしてすぐに答えてはくださいません。こうすればいい、という方法は教えてくださらないのです。ですが、神様は私たちの知らないところで働いています。神様が働いていることはわかりやすい形、私たちの求めているような形で現れないかもしれません。しかし、思いもよらないところから、思いもよらない形で助けが与えられます。私たちが自分で思い描く以上のことを、神様は用意してくださるのです。(狩野進之佑)

2020年6月17日 (水)

聖書の言葉301

神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。(フィリピ3・14)

 皆さんの目標は何でしょうか? 夢、あるいはこれからやりたいこと、こうなりたいなど、人それぞれ目標は違うでしょう。学校に通っている子は、勉強を頑張ってテストで良い点を取るとか、部活に入っている子は、朝から晩まで練習をして試合に勝つなど様々です。10人いれば10通りの目標があります。
 では、教会に通う「わたしたちの目標」は何でしょうか? 毎週聖書を読んで、毎日お祈りをしているのは、どんな目標があるからでしょうか? 
 パウロはフィリピ(現在のギリシャ)にいる、神様を信じる人に手紙を送りました。その手紙には、パウロ目線で、過去の自分、今の自分、これからの自分についてが記されています。ルールにこだわり、神様を信じる人をいじめていた過去について、そしてイエス様を知ったことでイエス様が大好きになった今のことについて、神様からのプレゼントを信じて前を向いて走っていこうとする、これからのことについてが書かれています。
 ではみなさんの過去はどうだったでしょうか? 今の自分はどんな自分でしょうか? これからはどうなりたいですか? そして、わたしたちの目標は何でしょうか? それを考えるのはとてもむずかしいことです。今はまだ分からないかもしれません。でも今わたしたちがすべきことは、ただ、イエス様を信じることだけです。そうすれば、きっと神様が、わたしたちの目標が何なのかをひとりひとりに教えてくれるでしょう。(諸橋鷹広)

2020年6月 3日 (水)

聖書の言葉300

今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。(フィリピ2・12)

 新型コロナウィルスの流行で世界中が大変なことになっています。コロナに感染して亡くなった人は世界で約40万人にもなりました。私たちは去年までとは違う生活をしなくてはならなくなりました。学校も、教会学校も長い間お休みになりました。やっと再開しましたが、これからも人に会う時はマスクをして、少し離れて、ぺちゃくちゃしゃべらず過ごします。私たちは経験したことのなり試練にぶちあたっているのです。お店や会社がつぶれたりしています。仕事をなくしてお金に困る人が増えることになります。もうこれは私や個人の力ではどうすることもできないのです。
 自分が感染しないかと不安でいっぱい、ずっと自粛でいやになってしまう、こんなことになった原因を作った人たちに責任をとってほしい、などという気持ちになります。なんで神様はこんな風にするのでしょう、と疑問に思います。神様ひどいよ、と文句を言う人もいるでしょう。今はコロナで大変だから教会どころではないと思って、すっかり神様のことを忘れて自分たちでなんとかしようと頑張る人もいるでしょう。
 しかし、聖書の教えは「従順でいなさい」というのです。どんなときでもイエス様に従いなさい、と教えます。私たちがするべきことは「恐れおののきつつ」従って生きることです。イエス様に従って、イエス様を頼って生きれば神様が助けてくださいます。
 イエス様に従うということはどういうことでしょう。心配なことは神様に祈ればいいのです。すると神様が自分に何をしなさいと言っているのかがわかってきます。それをすればいいのです。どんな状況にあっても神様が助けてくださいます。(綱川めぐみ)

2020年5月28日 (木)

聖書の言葉299

一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままにほかの国々の言葉で話しだした。(使徒言行録1・4)

 本日はペンテコステ(五旬祭)、聖霊降臨日を祝う礼拝です。ペンテコステは教会のお誕生日と言われています。どうしてなのでしょうか。
 イエス様は私たちの罪を背負い、十字架の上でお亡くなりになりました。そして3日目
に復活されました。復活されたイエス様は弟子たちの前に、そのお姿を現されました。そして弟子たちを励ましてくださいました。
 そして復活から40日目に、弟子たちの見守る中、イエス様は天に昇っていかれました。「あなたがたには聖霊が降ります、聖霊を受けると力がわき、世界中に私の教えを広める働きができます」と、弟子たちに約束されて天に昇られたのです。
 弟子たちは熱心に祈り合いました。しかし立ち上がることができません。イエス様のことが大好きで、イエス様のことを人々に伝えたい、でも力がでない。自分にはできない、そう思っていました。
 イエス様が天に昇られてから10日目のことです。イエス様のお約束通りのことが起きます。聖霊が弟子たちに降ったのです。激しい風のような音が天から聞こえ、炎のような舌が、弟子たち一人一人に降りました。するとどうでしょう、弟子たちは力がみなぎり、立ち上がり、外に飛び出し、イエス様のことを人々に話しはじめたのです。しかも、外国語が話せないはずの弟子たちが、様々な国の言葉で語りはじめたではありませんか。
 その日は、重要なイスラエルの民のお祭り(五旬祭)だったので、各地各国に散らばって暮らしているイスラエルの人々がエルサレムに大集合していました。様々な国の言葉を話す、大勢の人々を前に、弟子たちはそれぞれの国の言葉ではっきりと語りました。
 どんな国の言葉であっても、心をこめてお話しすることは同じです。「イエス様こそ救い主であるということ。人間の罪を背負われた十字架の死、そして復活のこと。イエス様を信じる人は誰でも、罪をゆるされ救われるということ」。そのことを力強く語ることができたのです。
 そしてこのペンテコステの日、弟子たちの言葉を聞いてイエス様を信じ、洗礼を受けた人は3000人にも及びました。その人々の群を教会と呼びました。この日からイエス様の教えは世界中に広がっていき、沢山の教会ができたのです。ですからペンテコステは教会のお誕生日なのです。(石室優子)

2020年5月22日 (金)

聖書の言葉298

この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。(ガラテヤ5・13)

 イエス様がこの世界におられた時代、そしてパウロが伝道を頑張っていた時代、多くの人々は律法 という教えを守って生きるように教育されていました。律法の教えを一生懸命守って生きる人は、正しい人間。律法に従わない人はダメ人間、とされていました。律法は人に罰を与えることはあっても、人をゆるすことはありません。律法は人を正しいとされる行いに閉じこめることはできても、どうすれば人が救われるのか導いてはくれません。
 神様はイエス様の生き方と言葉を通して、真実を語って下さいました。イエス様は言われました。
『あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさいなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。』
律法が人々を支配する凝り固まった世界に、イエス様の『掟』が新しく与えられたのです。パウロはこの大事なイエス様の教えを、必死で、できるだけ多くの人々に伝えようとしています。私たちはそのパウロの言葉を本年度は学んでいきます。
 イエス様がおっしゃる『愛』、イエス様に喜ばれる正しい『愛し方』をするには、私たちは一体どうすればよいのでしょうか?
 イエス様は言われました。
『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』
さらにおっしゃいました。
『隣人を自分のように愛しなさい』
 自分のことを大切にしたり、お友達を大切にしたり、これらは簡単なことではありませんがイメージはつくかな、と私は思います。
 では、神様を大切にするとは、具体的にどうすればよいのでしょうか。それは『礼拝を捧げる』ということです。神様を大切にする、とは礼拝を大切にするということなのです。こうして教会に集うことができない今、それでも教会は皆んなの心の中にあります。それぞれの場所で、礼拝し、祈ることができます。礼拝することで神様を愛し、自分を愛し、人を愛することが始まるのだと思います。(石室裕一)

«聖書の言葉297

フォト
無料ブログはココログ
2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31