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2021年8月20日 (金)

聖書の言葉355

造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方で す。アーメン。(ローマ1:25)

 1:18からロマ書の本論が始まります。まず異邦人の不信心と不義に対する神の怒りが啓示されます。2章からは綿々とユダヤ人の罪が明らかにされ、「律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされない」(3:20)と結論づけられます。この箇所は人間の罪を明らかにし、それを裁く神の義が啓示される、いわば夜の箇所です。人は夜を彷徨い死にいたるのです(バルト)。真の神を知らず、信じず、拝み、仕えない人間は「むなしい思いにふけり、心が鈍く暗く」(1:21)なって
罪のトンネルを歩むほかありません。不義の人間を罪に引き渡された義なる神の裁きです。
 その真っ只中で神をほめたたえるのが冒頭に挙げられた聖句です。悪を打ち砕く神だからほめたたえられるのでしょうか。それで溜飲を下げることができるということでしょうか。
 神の怒りのもとにある罪人とは私たちのことです。だとしたら怒りをあらわにする神を私たちは心からほめたたえることができるでしょうか。恐ろしいばかりです。あるいは、神の怒りなど無関心、無関係だということでしょうか。「弁解の余地がない」(1:20)とパウロは突きつけますが。
 この箇所は「福音には神の義が啓示されている」(1:17)と「キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義」(3:22)の間に挟まれています。この福音に挟まれて神の怒りがあります。福音が神の怒りに貫かれているから神をほめたたえずにはいられないのです。「夜は更け、日は近づいた」(13:12)のです。(岸 俊彦)

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