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2021年9月18日 (土)

聖書の言葉359

天の国は次のようにたとえられる。(マタイ13・44)

 イエス様はみんなに話をするとき、たとえ話を使ってお話をすることがありました。福音書はイエス様のやったことや、話したことをたくさん集めてまとめたものです。その中にはたとえ話がたくさん出てきます。今日読んだ箇所だけでも3つのたとえ話が出てきます。それだけみんな一度聞いたら忘れられない、印象深いたとえをイエス様がしたということでしょう。
 たとえ話だと、普通に話してもなんだかつまらなく感じることも、ちょっと違って聞こえます。たとえば今日の最初の2つのたとえ話、どちらも言おうとしているのは「天の国を見つけたら、全力でそれを求めよう」ということです。それをたとえ話にしてイエス様は話します。偶然お宝を見つけた人が、手に入れるために持ち物すべて売り払ってしまう。また探し求めていたものを見つけたとき、手に入れるために持ち物すべて売り払ってしまう。聞いているとその様子が思い浮かんでくるようなたとえ話をするのです。神様を求めるとはどういうものか、宝を手に入れようとする人の必死な顔、手に入れた時の幸せそうな顔を思い浮かべれば、わかります。
 3つ目のたとえ話は「神様は良い人と悪い人を見分ける」こと、そして「悪い人は最後には神様が裁いて下さる」ことを教えています。漁師さんは湖に網を仕掛けて、たくさんの魚を捕まえます。きっと朝早くに湖の近くを散歩していると、漁師さんが捕まえた魚を、食べられるものと食べられないものに分けているのを見ることができたでしょう。そして食べられない魚を最後に捨ててしまうのも知っています。神様も同じように、良い人か悪い人かを見分けることができます。食べられない魚が最後には捨てられてしまうように、神様も悪い人を最後には裁かれます。捨てられる魚を見て、最後に神様に捨てられる悪い人の生き方がどんなに悲しいかがわかります。目に見えない神様の世界の様子を、イエス様は目に見えるような言葉にして教えて下さったのです。(狩野進之佑)

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