« 聖書の言葉357 | トップページ | 聖書の言葉359 »

2021年9月 9日 (木)

聖書の言葉358

耳のあるものは聞きなさい。マタイ13・9

 当時、人々は麦の種を蒔く時、畑に向かって投げるようにしていました。そのため、道路に飛んで行ったり、石の上に落ちたり、茨などの下に転がったりする種がありました。すると、土がない道路では発芽することなく鳥が来て種を食べてしまいます。石の上に落ちた種は、発芽しても根をはれずに枯れてしまいました。茨の中に落ちた種は途中までは伸びたけれど、茨にひっかかってしおれてしまうのでした。一方で、きちんと畑に落ちた種は根をはって、どんどん伸びて多くの実をつけることができました。「種はきちんと耕された畑にまいて育てましょう」。イエス様は、多くの人にこの当たり前の事実を伝えたかったのでしょうか。
 ここで、種を蒔く人を神様、種は神様からの御言葉、種が落ちる土地は神様の御言葉を聞く人間だと考えます。そうすると、私はギクっとしてしまいます。皆さんはどうでしょうか。神様の御言葉は誰にでも与えられ、今日も教会に自由に来て、それを聞くことができます。それは、御言葉が畑に蒔かれる種のように人々に分け隔てなく伝えられているからです。一方で、聞く私たちはどうでしょう。初めから神様の言葉を聞いていない人もいるでしょう。それではせっかくの御言葉でも、道路に蒔かれた種のようにすぐなくなってしまいます。または、神様ってすごい、私も友達に優しくしたいと考えても、石の上に落ちた種のように、いつの間にか自分勝手に過ごしてしまったり。更には、神様は真理だと分かったつもりでも、結局は希望を持てず、茨に塞がれた種のように神様を信頼して歩めないこともあります。
 それでも、神様の恵みはいつも私たちに御言葉として与えられています。できれば御言葉という種を枯らさずに、良い実を結べるようにしたい。イエス様がこのたとえ話をしたのは、色々な弱さや迷いを抱え、頑な人々に、信仰の在り方を伝えたいと思ったからでしょう。神様やイエス様を信じていない人もいるだろうし、信頼して頑張ろうとしても挫けてしまう人もいるだろう。一人の人の中にも弱さがあるだろう。だからこそ、神様の言葉に耳を傾けて歩んで欲しい。私たちが神様からの御言葉を本当の意味で聞いて、それを自分の中で良い実として結べるように祈りましょう。(原真友子)

« 聖書の言葉357 | トップページ | 聖書の言葉359 »