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2021年10月29日 (金)

聖書の言葉365

これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。(マタイ17・14)

 聖書のお話では、私たちのことを羊に例えることがあります。ここには書かれていませんが、イエスさまは私たちの羊飼いだと他の聖書箇所に書かれています。そこではイエスさまが「わたしは良い羊飼いである」と言っています。そして、私たちの羊飼いであるイエスさまは「1匹が迷いでたら、その1匹を捜しに行かないだろうか」、つまり探しに行くでしょうと話しています。イエスさまは私たちが迷子になっても、1人だけ置いて行ったりはしない、ということです。そして、見つけることができたら、その1匹のことを喜ぶだろうと語っています。それは、たくさんいるうちの1匹を見つけた、というのとは意味が違います。100匹みんないるかどうか、その数が合えばそれでいいというのではありません。イエスさまは、とても大切に想っているあなたのことを見つけたよ、あなたのことを見つけられてよかった、嬉しいと喜んでくれている、ということです。
 それでは、迷ってしまった1匹のことを喜んでくれるのなら、迷わずにいた99匹のことは喜んでくれないのでしょうか?決してそういうことではありません。イエスさまは、迷わないで一緒にいてくれたことも、喜んでくれます。だけど、探していた1匹を見つけることができた時のイエスさまの喜びは、残りの99匹にとっても、同じように嬉しくて喜びである、ということがここでは語られています。また、このことから、私たちの帰る場所は、イエスさまがいる場所であるということが分かります。そして、イエスさまが羊飼いとして、私たちを導いてくださることを信じています。イエスさまがいる場所へと迷わずに帰ってくることができるように、私たちには聖書が与えられているのです。私たちを導いてくださる羊飼いの声として、イエスさまの言葉を聞くことで、私たちは教会から離れることのないように、教会に行こうと考えるようになります。そして、私たちのことを大切に想ってくれるイエスさまが、いつも一緒にいてくださることを、礼拝で思い出します。だから、私たちにとって礼拝は生命線だと言われています。礼拝は、自分の命を保つために欠かせないということです。
 ですから、私たちがいつもイエスさまの声を聞くことができますように。この声にしたがって、イエスさまがいる場所へと戻ってくることができますように。そして、私たちが聞く耳と心を開くことができますように、みんなと一緒にお祈りしたいと思います。(菊地信行)

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