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2022年10月 6日 (木)

聖書の言葉407

皆一つの体となるために(1コリント12・13)

 みんなの体には、手や足、目や耳や鼻や口などいろんな部分がありますね。手は物をつかんだり、ごはんを食べるのにおはしやスプーンをもったり、あくしゅしたりするときに必要です。足は立ったり、歩いたり、走ったり、かいだんを上ったりするときに無くてはなりませんね。目はけしきを見たり人の顔を見分けたり、耳では音や声を聞いて、鼻で息をすっておいしいご飯のにおいをかいで、口ではご飯をたべたり飲んだり、声を出してお話したり。体のそれぞれの部分がみんなちがうはたらきをしながら、あわさって一つの体として動いているので、わたしたちは生活ができています。もし、それがバラバラに勝手に動いたり、けんかして言うことをきかなくなったらどうなるでしょう?
 教会は一つの体のようだと聖書は書いています。神さまがくださったそれぞれのいいところや、上手なことや、やくわりがあって、ひとりの神さま、イエスさまにつながっています。みんなちがっても、みんな神さまのこどもとしてひとりひとり大切で、だれが一番えらいとか、だれがいらないということはありません。そして弱いことろがあれば、ほかが助けます。
 神さまは、この教会だけでなく、世界中の人が、いろんな人がいてちがっていても、みんな神さまの子どもとして愛してくださっているし、弱いところを助けあって生きてほしいと思っています。勉強ができる子も、できない子も。運動が得意な子も、そうでない子も、音楽や絵が上手な子もそうでない子も。元気な子も、病気の子も。みんながおたがいを大切にして「ともに生きる」世界になると、みんなもうれしいし、神さまも喜んでくださいます。そうなれるように、イエスさまにお祈りしましょう。(小田哲郎)

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