聖書の言葉418
天におられるわたしたちの父よ。(マタイ6・9)
私たちは「天にまします我らの父よ」と主の祈りを祈る時神様に呼びかけます。神の子イエス様が、私たちの罪のため十字架にかかって天に上げられたことで、私たちの罪が赦され、私たちも天の神様の子供として神様を「お父さん」と呼ぶことができるのです。
世界の言葉で「お父さん」を調べてみました。
ダッド、アッパ、ペー、パードゥル、フーチ、ファータ‥‥。
今ここにいる私たちと同じように世界中の人々が神様に「お父さん…」と呼びかけているのです。なんて暖かな言葉でしょう。なんて優しく暖かな言葉で始まる祈りでしょう。世界中の人々が、大人も子供も、みな兄弟姉妹ということにも改めて気付かされます。そして主の祈りは、自分自身から出る素直なお祈りのために必要な祈りの始まりです。「祈りましょう」と言われて素直に恥ずかしがらずに、祈ることが出来るでしょうか。
私は高校生の時、教会に通うようになりました。17歳の私は人前で「祈る」ことができませんでした。人の目を気にせず祈る事ができなかったのです。こんなことを言って変に思われないだろうか、祈りの順番を間違えてないだろうか。祈る順番が回ってくると心の中では「パス!」と叫んでいたのです。祈りが人に聞かせるものだったからです。
でも主の祈りは教えてくれました。「祈り」は神様に献げるものだということを。自分本位にならないように、くどくどと祈らないように弱い私たちに与えてくださった「主の祈り」。祈る言葉が見つからない時、独りよがりなお祈りになりそうな時、主の祈りで「お父さん」と呼びかけてみてください。きっとそこに父なる神様はいて、耳を傾けてくださっています。(牧内美和)