聖書の言葉423
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23・34)
イエス様が十字架刑で苦しむ時、周りの人々はくじ引きゲームをしてイエス様をバカにしていました。それでもイエス様は「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と祈りました。傷付けられても周りの人をゆるし、祈ったのです。
主の祈りの「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」という箇所について学びます。「私たちが自分にひどいことをする人たちを赦すから、私たちの罪も赦して下さい」という祈りです。私たちは毎週このお祈りをしているわけですが、どうでしょう。友達が待ち合わせに1時間遅れてきたら、怒らずにいられるでしょうか。誕生日を家族が忘れたり、大切な漫画を破かれたりしたら?いじめられている子を助けたのに、かえって、その子にいじめられたりしたら?相手をゆるすことが出来るでしょうか。私は毎週主の祈りを祈っていますが、人をゆるすのが上手ではありません。誰かに傷つけられたら、自分ばかりが可哀想で、相手をゆるせないのです。そのような時、神様のことを忘れてしまっています。腹立たしさでいっぱいで、自分がどうなっているのか、客観的に見られていない。神様を忘れていることにも気付いていなければ、自分がこれまで気づかぬうちに犯してしまった罪の数をもすっかり忘れてしまっているのです。そのこと自体、大きな罪です。
イエス様は人の弱さを知っておられました。多くの人がYESと言えば間違ったことも正しいことのように変えられてしまう世の中は、二千年前も今も変わりません。自分優先で、その裏で誰かが苦しむ現実は見えなくなる、それが人間です。けれど、その弱い私たちがイエス様に赦されている。愛されています。イエス様、神様が愛し赦して下さっているのだから、もっと強く優しくなって、みんながお互いに赦しあえたら、悲しいことが今よりずっと減るだろうな、と思います。(原真友子)