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2023年2月 3日 (金)

聖書の言葉421

アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を私から取り除けてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心にかなうことが行われますように。(マルコ14・36)

 ゲッセマネでのイエス様のお祈りのお話です。イエス様は何故神様がご自分をこの世にお遣わしになったかをよくご存じでした。神様のみ心が罪ある人間を救うため、ご自分が十字架にかかって死んで私たち人間の代わりに神様の裁きを受けるため、イエス様のことを信じるすべての人に永遠の命をもたらすために遣わされたということを。それでもその時が迫った時、イエス様はとても苦しまれました。汗が血が滴るくらいに苦しみながらお祈りされました。捕らえられ、辱めの裁判を受け、十字架にかかる事、神様の怒りを受け見捨てられ死ぬことの恐ろしさ。神様の裁きとしての死はどんなに恐ろしく、悲しく、苦しかったことでしょう。神様にどうかそうしないで助けて下さいと身を絞るように祈ってお願いされました。弟子たちにもその苦しみを隠しませんでした。それでも最後には神様を信頼し、神様に従い、神様のみ心がなるようにと祈りました。そして私たち人間の救いのために十字架で亡くなりました。イエス様の苦しみを前にしても眠ってしまうペテロ達の弱さも嘆きながらも許して下さいました。愛をもって苦しみに打ち勝ったのです。神様はイエス様を復活させて下さいました。み心がなりました。
 イエス様はいつも私たちを見守り、共にいて励まし下さいます。最高最強の味方です。だから私たちはイエス様のみ名を通して祈るのです。この地上には苦しみ、悲しみ、悩み、憎しみ、戦争、暗闇におおわれているとすら思ってしまうことも起こります。それは私たち人間が神様のみ心を忘れて自分の心にあることを優先させてしまうからです。だから私たちは主の祈りを祈ります。イエス様のように神様を信頼し、この地でも神様のみ心がなりますようにと祈るのです。そこに神様の救いがあるからです。(小嶋幸子)

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