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2023年4月 7日 (金)

聖書の言葉427

私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(マタイ28・20)

 なぜ教会では日曜日の朝礼拝するのでしょう。それは、日曜日の朝イエスさまが死者の中から復活されたからです。
 金曜日十字架に磔にされたイエスさまは「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と大声で叫ばれて息を引き取られました。イエスさまを裏切り見捨てた弟子たちは、全てが終わったと思ったことでしょう。死んだら人間はお終いだからです。一番弟子だったペトロは故郷のガリラヤにもどって、また漁師になるかと考えたかもしれません。でも、イエスさまを裏切った後ろめたさはなくなりません。金曜日は弟子たちの暗いくらい人生の始まりです。生きていても死んだも同然の弟子たちでした。
 ところが日曜日の朝、マグダラのマリアともう一人のマリアが弟子たちのところに飛び込んできました。「イエスさまが復活された」とハアハアしながら、嬉々として伝えました。復活されたイエスさまが「ガリラヤに行け」と命じられたとも。
 弟子たちに次々とイエスさまの言葉が甦ってきました。「もう一度イエスさまの言葉を信じよう」と弟子たちはガリラヤに向かいました。かつて「敵を愛しなさい」と教えてくださった山に弟子たちは上りました。信じられないことに復活されたイエスさまが待っていてくださいました。しかし、お目にかかっているのに信じない弟子たちもいました。
 裏切る弟子たち、信じない弟子たち、本当だったらイエスさまの弟子とは言えない者たちを、復活のイエスさまは御自分の弟子にしてくださいます。疑う弟子たちの罪を赦し、死に勝利されたイエスさまの深い愛があるから私たちは弟子になることができます。どんな時もイエスさまが共にいてくださると信じるのがイエスさまの弟子です。(岸 俊彦)

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