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2024年1月 9日 (火)

聖書の言葉463

種は神の言葉である。(ルカ8・11)

 種を蒔く人が種まきに出てゆきました。道端に落ちた種は、人々に踏みつけられ、鳥に食べられてしまいました。石の多い土地に落ちた種は、芽は出ましたが、十分な水がなく枯れてしまいました。また、別の種は茨に塞がれ、陽が当たらずやはり枯れてしまいました。見事、実を実らせたのは良い土地に落ちた種です。これは、イエス様が大勢の群衆とお弟子さんたちに語られたたとえ話です。信仰のありかた、またそれによって神の国の秘密を悟ることができるかどうかを、当時の人々にとって身近であった種まきをたとえに用いて話されたのです。その他大勢の群衆にも、お弟子さんたちにも、このお話は平等に語られます。しかし、それによって「ふぅ~ん、そうなんだぁ…」と終わってしまったり、「はいわかりました」で終わってしまうのが多くの人々です。イエス様のお話を聞いて、よく考えたり、素直に聞き入れないと、たとえ話が持つ本当に大切なことは見えてきません。
 私たちは、この「種まきのたとえ」を聞くと、どこか種が蒔かれた「土地」の方に気が向いてしまいます。自分は道端なのかなぁ、茨の多い土地なのかなぁ、良い土地になれるのかなぁ。しかし私たちが見つめなければならないのは、「種を蒔く人」です。「種」とは御言葉です。「蒔く人」とはイエス様です。イエス様が蒔かれた種から信仰が生まれます。決して私たちの努力だとか、日ごろの行いによって立派な実を実らせるわけではないのです。外から蒔かれた種、つまり御言葉によって私たちの内に信仰が生まれます。私たちが生活する中で、日々の歩みの中で、イエス様が御言葉をくださる、罪深い私たちに、それでもなお忍耐強く御言葉を語り続けてくださる。その御言葉をしっかり聞く心、すなわち「善い心」を持って、今日蒔かれる種に感謝して歩みだしましょう。(諸橋鷹広)

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