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2024年1月 6日 (土)

聖書の言葉462

父親のもとに行った。(ルカ15・20)

 母さんが亡くなってから、父さんは兄さんと僕のことを気にかけすぎる。兄さんは父さんを一生懸命手伝っている。僕は父さんとも兄さんとも違う人間だ。この家を出て自由に生きたい。自分に何ができるか挑戦したい。兄さんと僕には、父さんからそれぞれ貰うことができるお金がある。それを貰って、ともかく、知らない町に行って、自分を試してみよう。
 ところが、世の中は悪い人間ばかり。お金をもっているとわかると言い寄ってきてだまされたり、調子にのって無駄遣いして、あっというまにすっからかん。悪いことは続くもの。飢饉が起こって、食べる物さえなくなった。仕方がないから豚の世話をすることにした。豚のえさであるいなご豆でも食べたいと思うほどお腹か空いた。
 そうすると気付いた。父さんの所では何人もの人たちが働いて、パンもたくさんある。僕がまちがっていた。父さんの子としてくださった神様にも、何不自由なく暮らすことができるようにしてくれた父さんにも謝ろう。息子ではなく、働いている人たちと一緒になって、もういちどやり直そう。
 遠くの方から父さんが駆け寄ってきた。僕を抱きしめた。僕が謝ろうとしたら、「死んでいた息子が生き返った。帰って来た」と父さんは大喜び。ボロボロの服を綺麗な新しい服に着替えさせてくれ、ご馳走まで用意してくれた。
 どうして、父さんが僕のことをこんなに大切にしてくれていて、いつも心配してくれたと、今まで気付かなかったのだろう。失敗しても帰るところがあるから、無茶もできたのだ。自分一人で自由に生きることができるのではない。父さんに支えられて、冒険もできるのだ。なんて僕は身勝手で愚かだったのだろう。(岸 俊彦)

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