« 聖書の言葉465 | トップページ | 聖書の言葉467 »

2024年2月 3日 (土)

聖書の言葉466

あなたがたもそれぞれ、心からきょうだいを赦さないなら、天の私の父もあなたがたに同じようになさるであろう。(マタイ18・35)

 私たちは、自分に対して罪や過ちを犯した人を赦すことができますか。今日の聖書箇所でペトロがイエス様に「人を何回まで赦すべきか、7回までか」と質問されたのに対し、イエス様は「7回どころか7の70倍まで赦しなさい」と答えられました。「7の70倍」とは490回ではなく、無制限を意味します。イエス様は何回でも赦しなさいと語ります。
 加えて、イエス様はたとえ話を語ります。主人に対して一生働いても返せないような大きな借金のある家来が、主人の憐れみにより赦され、借金を帳消しにしてもらいました。しかし、その家来は自分が100日分の賃金くらいのお金を貸している仲間は赦せずに牢に入れたため、主人は怒ってその家来を罰しました。ここで出てくる主人が神様、家来が私たちです。イエス様は「心からきょうだいを赦さないなら、天の私の父もあなたがたに同じようになさるであろう」、つまり私が誰かを赦せないでいると、そのような私たちを神様もお赦しにならない、ということです。
 でも、神様はなぜ私たちを赦してくださるのでしょうか。それは私たちのことを心から愛しておられるからです。神様は信仰の道から外れた罪ある人がいても、自分を信じる者になるよう祈り願い、信仰が戻ったなら手放しに喜ばれる方です。私たちはどうでしょうか。私たちは自分が愛されることを望みながら、人を愛すことができないのと同じように、自分が赦されることを願いながら、人を赦すことができないものです。誰かを赦すのは誰にとってもすごく難しいことです。大切なのは、神様が私たちを赦してくださっている恵みに気づき、自分も人を赦して愛していこうと祈り求める歩みそのものではないでしょうか。(原 良介)

« 聖書の言葉465 | トップページ | 聖書の言葉467 »

フォト
無料ブログはココログ
2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30