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2024年2月10日 (土)

聖書の言葉467

家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。(マタイ21・42)

 ある人がぶどうを沢山植えました。ただ、この人は旅に出ることになったので、ぶどうを育てるのは農夫たちにお任せしました。収穫の時期になったら、ぶどうの実をもらいに来るからね、と伝えて、この人、つまりオーナーは出掛けていきました。
 いよいよ、秋になりぶどうの実が食べられる頃になりました。オーナーは旅先から、使いの人を出して、ぶどうを取ってきてもらおうとしました。ところがどうでしょう。農夫たちはオーナーの使いを追い返してしまいました。ただ追い返したのではありません。殴る蹴る、とお使いの人にひどいことをして追い返しました。
 オーナーはまた次の人を使いに出しました。農夫たちは次の人も同じように殴る蹴るをして、何も持たさずに追い返しました。オーナーは更に3人目の使いも出しましたが、これも農夫たちはケガをさせるぐらい傷つけて、農園の外に出しました。
 困ったオーナーは、自分の息子を農園に送り出しました。ところが、農夫たちはオーナーの息子を農園の外に出して殺してしまいました。
 さて、オーナーはこの後どうしたでしょうか。イエス様はこの話を聞いていた人たちに問いかけたあと、こう言いました。農園に戻ってきて、この農夫たちを殺して、他の人にこの農園を与えるだろうと。
 この話を聞いていた人たちは、そんなことはあってはなりません。と言いましたが、イエス様は続けて言われました。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。』その足の上に落ちる者は誰でも打ち砕かれ、その足石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」
 オーナーは神様、ぶどう園は神様が造られたこの世界、農夫は祭司長たち、使いの人は預言者、息子はイエス様です。神様は私たちのために、イエス様をこの世に送ってくださいました。イエス様は神様に見捨てられたものとして私たちのために殺されました。でも、すべては神様のご計画の内にあり、イエス様は復活し、天に上げられ、大事な親石となってくださいました。(原 知子)

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