« 聖書の言葉469 | トップページ | 聖書の言葉471 »

2024年3月 2日 (土)

聖書の言葉470

「まことに、この人は神の子だった」(マルコ15・39)

 今私たちは受難節という時を過ごしています。イエス様の十字架の苦しみを覚えて過ごす時です。イエス様は何も悪いことをしていないのに、なぜ殺されなくてはならなかったのでしょうか。
 イエス様の教えに人々の心は震えました。それまで皆んなに尊敬されていた偉い人々は、イエス様がゆるせませんでした。イエス様を殺してしまおうと思いました。しかしイエス様は、ご自分を殺そうとする人々さえも赦されました。人間みんなの罪を背負って十字架の上で死ぬという道を歩まれました。
 処刑を実行する責任者は百人隊長という人でした。百人隊長は処刑の職務を日ごろから担っていました。しかし、イエス様の処刑はこれまでの処刑とはあまりにも違うものでした。
 朝の9時にイエス様は十字架につけられました。昼の12時には世界が真っ暗になりました。イエス様は「エロイエロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と叫ばれて息を引き取られました。すると神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けました。昼の3時のことでした。十字架の下で、イエス様の死の全てを見届けた百人隊長は、「まことに、この人は神の子だった」と言いました。
 イエス様の最も悲惨な一日を彼は見届けました。輝いて力に満ちた素敵な姿ではありません。愛する弟子たちに裏切られ、慕われていた民衆に見捨てられ、理不尽な恨みに殺されるまでに打ちのめされ、鞭打たれ、手足に釘を打ち込まれた悲惨なお姿を見て、百人隊長はイエス様を『神の子』であると言ったのです。百人隊長は十字架の前に確かに立ったのです。(石室裕一)

« 聖書の言葉469 | トップページ | 聖書の言葉471 »

フォト
無料ブログはココログ
2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30