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2024年4月 9日 (火)

聖書の言葉474

「すべてを正しく行うのは、我々にふさわしいことです」(マタイ3・15)

 約2000年前、イエス様も私たち先生たちと同じように洗礼を受けました。洗礼者ヨハネによって受け、その時天から「これは私の愛する子、私の心にかなう者」という神様の声が聞こえました。その洗礼の出来事の後、イエス様はガリラヤでの伝道を始めましたから、まさしくこれから伝道の歩みを始めるぞ!というイエス様の背中を神様が押したようにも感じます。このイエス様の洗礼の出来事のために、洗礼者ヨハネはイザヤ書の預言にあるとおり、主の道を整え、イエス様の道の準備をしていました。でも、ヨハネはとても恐縮します。当然です。「私なんかがイエス様に洗礼を授けるなんて!」しかし、イエス様は「正しいことをしよう」と語られました。これは、人間がなすべき正しいことをしようということです。神様の前に罪を悔い改め、赦しを願うことの印として洗礼を受けることは、人間がなすべき最も基本的なことだ、そのように考え、「正しいことをしよう、だから私に洗礼を授けてくれ」とヨハネに伝えたのです。
 では、私たちが洗礼を受けると、日常の生活の中でどう具体的な変化があるのでしょうか? 罪が洗い流され、新しい身体に生まれ変わると、どう心理的な変化があるのでしょうか? そもそも生まれ変わるとは一体どんな変化を指しているのでしょうか? 性格が変わる? しかし大人になればなるほど、性格はなかなか変えづらい。他人に優しくなれる? ポジティブになれる? 悩み事がなくなる? いろいろ考えられますよね。人生を送る中で、時に喜び、あるいは悲しみ、誰かを憎んだり、もしくは小さな喜びに感謝するとき、必ず今までとは違う自分に変えられるときが訪れます。その時、みなさんの選択肢のひとつに「洗礼を受ける」があれば、とても嬉しく思います。(諸橋鷹広)

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